病気のこと 少し(けっして忘れないこと)


おかあさんの 病気について 少し 話しておきます。

キミたちは ちょっとくらいは 覚えているのかな。


それは とっても 突然で ひょっこり顔を出したんだ。

左の胸の上 何となく触ったら ビー球くらいの こりこリ があった。相変わらず お母さんは カンが悪い。

肌着のワイヤーが いつも当たって痛かったから、そのせいで 何か出来たのかななんて 思ってた。

でも やっぱり ちょっとは 気になって、1週間くらいは 本を読み読み考えた。

似た症状の 病気のところを読みながら一番 深刻そうじゃないのを 何回も読んで、コレならいいなぁ・・って思ってた。 

おとうさんにも相談して やっぱり 病院行こうって決めたんだ。  

おとうさんの 大きなジャンバーを その日だけ はおって 出かけたよ。

やっぱり 不安だったんだね。


いったい 何科に行けばいいのかさえ 解らなかったよ。

病院なんて 自分のことでは ほとんど縁がなかったもの。 


何日かに分けて 色んな 検査をして 結果を聞く日になった。

おとうさんと ふたりで行った。

よく ドラマにも出てくる 病名だったよ。

そのなかでも「悪いカオした」ヤツだと 先生は言った。


色んな説明があった。手術の日程を 向こうから決めてきた。

 何が 一番 気がかりだったと思う?

それは 幼稚園の クリスマス発表会のことで

それは 入院中の ご飯の用意のことで

それは 今 クラスがゴタゴタしてて 楽しくない学校生活をして傷つきやすくなってる お姉ちゃんのことだった。


 何よりもまず おかあさんが 先生に聞いたのは、

おかしいと思うかな?違う病名で それを 人に言うなら 何て言ったら一番いいか ってことだった。

何日で 家に帰って 普通に過ごせるかってことだった。 


キミたちがどこかで心無い言葉を聞いて傷つくことだけが心配だった。

薄っぺらなテレビドラマ見て心配をつのらすことが嫌だった。 


キミたちが おかあさん無しでも支えてくれる大好きな人たちと 元気にやっていけるのはいったい何年後かなってとっさに数えてみた。

何年後だったら大丈夫かって考えてみたんだよ。  


親なんてそんなものなのかもしれないね。

いや、他の「親」はもっとちゃんと考えなさるのかもしれないよ。 


ただ おかあさんは残された人が残ったことで傷つくのが一番哀しい。

残されたキミたちが幸せに笑ってるのが一番嬉しい。

それだけは 忘れないで。 


 あれから何年もたったけど おかあさんは今のところ元気です。 

胸にマジックで治療の目印のバッテン描かれてて お風呂でへんなの、って笑ったことも、

少しの間点滴に通うのに付き合ってくれたことも、キミたちはもう忘れちゃったかな? 


おかあさんの今の目標知ってる?

あのね、みんなを安心させること。

大丈夫。 こうやって病気とつきあいながらでも きっと笑って生きられる。

大丈夫。 身体の形が多少悪くなっても問題なんて何にもない。


 家族で 協力して団結して病気と闘うのは、もう少し先に延ばしたい。


今は こんなでもいいかなって、そう思っているんだ。 


少しずつ話すから また聞いてね。 

ぺんぺん草 花束にして

オリジナル小説、随筆など。fc2「stand by me 」から引っ越しました。

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