~11月のお題~「『いやだ、消えろ』と私は呟いたけれども、それは不気味な笑い声を洩らしただけだった」で始まり「私の目はぎゅっと閉じたままで、背伸びした爪先は ぶるぶると震えた」で終わること (お題出典 :「ポプラの秋」湯本香樹美)
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「いやだ、消えろ」と呟いたけれども、「それ」は不気味な笑い声を洩らしただけだった。
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「それ」が トモミの前に初めて姿を見せたのは 電話で友達の悩みを聞いているときだった。
─ 大丈夫よ、心配ないって。ほら 泣かないの。彼、きっとそんなつもりで言ったんじゃないってば。私?私も 最近なかなか会えないの。メールも途絶えがち・・ふふ、そうそう うちは信頼関係バッチリですからね~。
延々と続く堂々巡りの心配事に、根気よく答える。
学生時代から よく友達の相談に乗ってきた。相談されるのは トモミも 嫌いではなかった。
なのにその電話の間「それ」は さも退屈そうに大きなあくびをし、イライラした様子で指を動かし、いいかげんにしてよ、くだらない・・とでも言いたげにチッと舌打ちをした。
「それ」はまぎれもなく鏡に映った「自分」。
受話器を持ったまま呆然と鏡を見つめるトモミに向かって 「それ」は一瞬 ニヤリと笑った。
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通勤電車の窓ガラスにも「それ」は、よく現れるようになった。
何もかも敵に回して毒を吐くような ゾクリとする 顔、あるいは 疲れきった顔で、だらしなく無防備に眠る姿。電車の窓ガラスに「ありえない私」が映し出されている。
自分が今 しているはずの表情とは 全く違う。人前でやらないようにと トモミが厳しくしつけられてきた仕草、態度。
─ 「それ」は 自分の姿ではあるけれど けして「自分」ではない。「自分」であるはずがない・・。
トモミは 電車の窓から 目を逸らす。
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「あなたは 誰・・?」
朝、鏡に映った「それ」に、トモミは 聞いてみる。
「アンタに決まってるじゃない。鏡に映ってるんだもん。」
「それ」は 軽いけれど少しトゲのある声で返事した。
「私は そんな 表情しないわ。」
「アハハ、まぁ 表面的には ね」
洗面所のシンクにひょいっと腰かけ、足を組み けだるそうに髪をかき上げて「それ」は言う。
「それ」は 徐々にトモミ自身とは別の動きを見せ始めた。
「アンタが ずっと閉じ込めちゃった部分っていうか・・そうだなぁ・・そうそう、カタブツの両親のご自慢の”いい子ちゃん”でいるために蓋をしめて隠しちゃった そこんとこ。アンタが作り上げた自分にそぐわないからって切り取っちゃった そんなとこ。グズグズ悩む友達なんて思いっきりバカにしてるくせに、自分はっていうと最近冷たいアイツのこと物凄く疑ってるんだ。」
「どうして、そんなこと・・?」
「うすうす気づいてるくせに。もう終わりなんだってさ。」
「そんなこと、ない!!」
水道の蛇口からいつもよりきつめに水を出し ザブザブと荒っぽく顔を洗うとトモミは鏡を見ずに 洗面所を後にした。
*
会社帰り、コンビニに 買い忘れの調味料を買いに立ち寄る。一人暮らしをしていても 生活は全てきっちりしていたい。どんなに残業で遅くなってもトモミは帰って食事を作るようにしていた。
店の道路に面した壁一面の大きなガラスに映った「それ」はこちらを見ると 浮ついた調子でピースサインした。買い物カゴにインスタント食品や惣菜、カップ麺お酒にビールにおつまみ 色の派手な化粧品 漫画雑誌 週刊誌 ・・カゴからあふれるほど入れている。
─ねぇ タバコも買おうよぉ
「それ」は手振りで そう言った。
「冗談じゃないわ。」
トモミは 声に出して言い必要最低限のものだけレジに持っていって精算を済ませた。
部屋に帰って料理をし一人の遅い夕食を食べる。食器棚のガラスに映りこんだ「それ」はテーブルに肘をついてつまらなそうに皿をつつきながらこちらを見ていた。
「カップラーメンが良かったなぁ」
「作った方が栄養があるし、美味しいの。」
「そうかなぁ」
「そうよ。決まってる。」
「電話、来ないね。」
「忙しいのよ。」
「メールも来ないじゃん。」
「メールが苦手な人なのよ。」
「オンナと歩いてたの見た。」
「彼の会社の人よ。プライベートじゃないわ。」
「思ったより ブスだったねぇ。」
トモミは 黙って食器を洗い きちんと拭いて片付けた。
*
夜中、トモミは息苦しさに 目が覚めた。毎日嫌な夢ばかり見る。汗でまくらがじっとり濡れていた。
「夢・・?」
今までのは全部夢だったんだ・・そんな風に思えてホっとしたのも束の間、目覚まし時計のガラスに「それ」が いた。
「どうしたいのよ?いったい 何が 言いたいの?」
この嫌な感じはどこからくるのだろう・・トモミはイライラを 「それ」にぶつける。
「それは アンタが一番良く知ってるはずじゃない?」
「あなたは 私なんかじゃないわ。私じゃないわ!」
トモミが 震えながら訴えても「それ」はわざとらしく耳をふさぎ、聞こえないふりをしてニヤニヤ笑っている。親に見せてもらえなかったTVのお笑い番組で流行っていた動作にそれはよく似ていた。「そうだ、テレビつけようよ。」
考えたことを見透かしたように「それ」が言う。
「こんな時間 何もやってないわ。」
「深夜番組 見たかったくせに。あーんな映画?こーんなバラエティ?」
クネクネと品のない手の動かし方をしながら「それ」は言った。
「見たくなんかない!!」
「ふふん・・ママが選んだ番組しか見られないんだ」
流行のギャグを言いながら 笑いさざめくクラスメイト・・知ってる振りして一緒に笑ってる自分の姿がちらりとトモミの頭を過ぎった。
─どんなに周りが低俗でもお前さえきちんとしていればいいのだ。
普通の公立の学校にトモミをやりながら両親はいつもそんな風に言った。けして口に出して歌ったことのない汚い言葉ばかり出てくる替え歌を「それ」は ひどく気持ちよさそうにトモミの傍で歌い出だす。小学生の男の子たちはこの手の歌をよく歌ってた。
「やめてよ そんな歌!! 近所に聞こえるわ。」
「お願い もう 消えて!」
うなるようにトモミは言うと、目覚まし時計を布団に押し付けてガラス面を隠す。
─ お願い、お願いだから もうどこかへ行って。消えろ、消えろ 消えろ!
消えろ!!
*
「それ」は昼間も現れる。気配を感じて トモミがベランダ側の窓ガラスに目をやると今度はそこに「それ」は いた。トモミが無視し続けると、「それ」はひょいっと バルコニーの手すりに立ち、平均台を歩くように その上を スタスタと器用に歩き出した。
「こんなことだって ほんとは ずうっと したかったくせに。」
「危ないわ。落ちたら怪我するし 大騒ぎになって近所迷惑よ。」
「ふふん、怖いんだ。失敗して無様に落っこちていくのが恥ずかしい・・?」
「怖くなんかない!恥ずかしくもない!」
「あ、そうかぁ、パパとママに怒られるのが嫌だっただけなんだ。」
「最初っから そんなつまらないことしたいとも思ってない!!」
トモミが強く叫ぶ。ベランダの手すりの上「それ」の目がキラリ光った
*
疲れているんだ・・。メールしてみよう、
「いつ 会える?」
でも 今 いつがいい?って逆に聞かれても私だって忙しいし・・・メールを打ちかけた手を止めてトモミは携帯をサイドテーブルに置いた。留守電のメッセージは 相変わらず母だった。
毎日 帰宅時間を確かめるかのようにかかってきて「きちんと」暮らしているか、こまめに連絡するように言ってくる。
ふぅ・・とため息ついて クッションに半分顔をうずめた時携帯の画面に「それ」は また現れた。「今 アイツはきっとあのオンナといるね。いきなり押しかけて現場押さえちゃおうか?」
ニヤニヤ笑いながら「それ」は続ける。
「あれは、本気っぽかったなぁ。思ってたような”フェロモン女”じゃなかったね。アイツがあのオンナに誘惑されたって感じでもなかったよなぁ。普通っぽい平凡な女・・・何でまたあんなのにホレたんだか。」
「やめてよ、彼を信じてるわ。」
トモミは 俯いたまま答える。声に力が入らない。
「だって アンタ、ちゃぁんと見に行ったじゃん。あんなの偶然じゃないでしょ。あんなつまんなそうなオンナに負けるの悔しいね?」
「勝手に決めないで!勝つとか負けるとかなんてこれっぽちも思ってないわ。」
自分に言い聞かせるかのように言葉を返すと「それ」は ニヤニヤ笑うのをやめ、じっと 刺すような目で トモミを見つめた。
*
「ばかやろー クソヤロー xxxxxxx。」
気の早いクリスマスの飾りつけをした街で華やかなショーウィンドゥに映った「それ」はぼそりと言った。忙しくて会えないはずの彼が 道路の向こう側の喫茶店であの女と会っていた。
「何よ、それ?」
立ち尽くしたままの トモミが聞く。
「一度 叫んでみたかったくせに。」
「そんな 汚い言葉言いたくないわ。」
「愛してるのよ~?捨てないで~?」
「やだ!そんなの絶対言わない!! 言わないからっ!!!」
「お前なんか だいっきらいだ。くたばっちまえー」
「・・・・・・。」
「裏切り者!ウソツキ!!浮気者!!一発殴らせろ~!!」
おかしくなって トモミはふき出した。少しだけ笑えた。
その後急に涙がこぼれた。トモミ自身にだって悔しいのか哀しいのかもう解からない。小さい子どものときでさえもしなかったのにぼろぼろ泣けてきた。
人ごみの中 わあわあ言いながらトモミは泣いた。地団太踏んで路上で泣いた。きらきら光る電飾が涙でぼやけて 十字形の光の集まりに見えた。
*
ベランダの窓を全開にすると 外の空気が部屋に流れ込んで来る。昼間あれだけ泣いたせいかトモミの心は穏やかだった。バルコニーの手すりが 月明かりでつややかに光っている。窓ガラスに映っていた「それ」とトモミは一緒に 黙って月を眺めていた。
「木登りだってしてみたかったんだ。」
「それ」は バルコニーの手すりに上ると、傍の木の枝に手を伸ばし軽々と木に移り、するすると登っていった。木の葉に隠れて見えなくなったかと思った瞬間、高い枝から 「それ」はふわり 飛び降りた。突然のことにトモミはあわてて ベランダに出て乗り出して下を探したが「それ」はもう どこにも 見えなかった。
飛び降りる瞬間 振り向いてトモミを見た その顔は いつになく優しかった。
*
バルコニーの手すりにもたれて ずっと置きっぱなしだった貰い物のお酒を トモミは空けた。どれくらいの間そこにいたのだろう。「それ」の最後の顔ばかり思い出していた。
─ ここから今 何か叫んでみようか、
「バカヤロウ」
トモミは 小さく声に出してみる。バルコニーの手すりに手をやるとキンと冷たい。下を見下ろすと底の無い暗い穴のようだった。
─ 落ちたら 死ねる?
暗い穴に落ち込みそうな気がして 急に頭がくらくらした。トモミは目をぎゅっとつぶる。
─ ばっかじゃない?死ぬぅ?死ぬ気なんか全然無いくせに。
「それ」が芝居がかったおどけた仕草をつけて返事する気がした。「それ」と話がしたかった。「それ」に答えてみたかった。
バルコニーの手すりに両手をかけ、トモミはぐんと伸び上がる。
─ 「平均台」、できたら木を伝って降りて私は「それ」を捕まえに行こう。コンビニで何か買って来て次は木登りして木のてっぺんで お月見しよう。
「一発殴りに行く」計画もたててお月様に映った「それ」と 笑って乾杯しよう。
木の葉をカサコソさ揺らし下ろした長いトモミの髪の間を静かに風が吹き抜ける。下の闇は底がないかように深い。バルコニーの手すりにもう一度手を置き直す。置いた手に身体の重みを乗せてみる
トモミはぎゅっと閉じたまま 伸び上がる。背伸びした爪先が ぶるぶるっと震えた
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