校外学習に行ってきたジュンペイが 珍しく 大きい声で歌を 歌っている。
「何?それ」
「おかあさん 知らないの?『めだかの学校』」
「変な歌詞。そんな替え歌、流行ってるんだ?」
「今日できた。 先生が 歌ってたのを 皆で変えたの。」
横で漫画を読んでいた姉のユミは プッとふきだしてしまった。
「ヒダカが 歌ったの?それも メダカの歌~?。」
つまらないことでも 時々ツボにはまると 笑が止まらなくなる。ユミは身体をよじって ケラケラ笑い続けた。
「ユミちゃん、先生を呼び捨てにしないの。」
ユミたち高学年の子が 2年の担任の日高先生を「メダカ」と呼んでバカにしているのは 母親のサエコも知っている。名前も似てるし おどおどと周りを見ているときの目が サカナみたいだという。ジュンペイたちの前では 言わないように、と サエコは日ごろからきつくユミに言っていた。
─ 子どもたちと 一緒に 歌なんて 歌うんだ・・・サエコだって聞いた瞬間 意外だと思った。2年生になって、息子の担任が この男性教師だと判った時 サエコも実は、酷くがっかりしたのだ。子どもたちと 必要最小限にしか付き合う気がなさそうな先生。クレームが来ない程度に 日々をこなすことだけに心を砕いているような先生。前任校では 学級崩壊させて担任を変わらされそうになったとかしょっちゅう具合が悪くなって休むから 勉強が遅れるとか─ 評判は 最悪だった。何よりも、子ども達が 授業が単調で面白くない、クラスで楽しいことが何もないと言い出したのが 悩みの種だった。
「どこかに メダカ いたの?」
ジュンペイに サエコが尋ねると
「ううん、川は行ったけど、魚はいなかった。先生が 一人で歌ってた。何の歌?って聞いたらね・・。」
遠慮のかけらも無いユミは 足をバタつかせて 笑い、
「メ・ ダ ・カ・の学校~!!」。
先生のあだ名を 知らないはずはないと 思うのにジュンペイは 特に笑いもせず 言った。
「この歌が 好きで、子どもの頃から この歌 歌っては 先生になりたいなぁ・・って思ってたんだって ・・日高先生 そう言ってたよ。」
「ふうぅん、そうなんだ。他に色々教えてくれた?」
サエコが聞く。
「ううん、それだけ。マサキくんがすぐに替え歌にした。それからヨシダさんが センセー、めだかなんか全然いないじゃん、って言った。」
「メダカーのガッコウはー ドコにーも ナイ」
先生がそのフレーズしかもともと歌う気がなかったのか、子どもに邪魔されて歌えなくなったのかその辺りは判らない。
ジュンペイたちが作った替え歌は延々 同じメロディーで 続く。
* *「
「あれじゃぁ子どももやる気でないよねぇ。」
連絡網のついでに出るのは 日高先生のやり方に対する不満の声ばかりだ。
「1年生の時のの先生は皆 子どものこと褒めまくってたのに花丸もないし可愛い「見ました」のハンコもない、やる気がでるようなコメントも全然つけてくれないもの・・ ほんとに提出物 見てるのかって感じよね。」
「この頃 どうせ見てないからって 問題飛ばして解いたりズルする子もいるらしいよ。」
ふうぅ・・とため息ついて受話器を置く。サエコには 教師になった友達が幾人かいる。彼女たちと話すと いつも自分が子どもにしつけるべきことを教師の責任に転嫁して文句を言ってくるそんな「親」のことをよく聞かされた。いつも そんな親にはなりたくない・・と思ったものだ。
けれど 自分の子どもの貴重な1年間が担任の先生に大きく左右される・・とも思う。他にもたくさん先生がいていい先生もいっぱいいるのに・・サエコだって フクザツだ。
*
─ おかあさん、あたし、変な夢見ちゃったよ。ユミがまだ寝ぼけた顔で言ったのは ジュンペイの校外学習の日から数日後のことだった。
「あたしが川にいるの。で、男の子が一人いて川の中覗き込んでるの。男の子は色白でちょっとおとなしい感じかな。一瞬 これって ジュンペイかなと思ったんだけど違うんだ。」
小さいときからユミは 時々夢の話をする。ストーリー性があったりして面白いからサエコは結構楽しみにしていた。
「川の中 男の子が指差して『ほら 見て』って言うの。小さな魚が群れになって泳いでた。『めだかだよ』『ふーん これが めだかなんだ。』夢の中のめだかはキラキラしてて すごく綺麗な魚だったの。『ボク 先生になりたいんだ。でも 無理だよね。』なんてその子が言うから 『そんなこと判らないよ。すごくなりたいと思うんならなれるよ。』って あたし答えた。あたしはいつの間にか相手がジュンペイのように思いながら必死で言うの。『アンタはいつでも そうやってすぐに あきらめるんだ。なれるよ。絶対なれるから。なりたいものになれるから。』夢の中でだんだん哀しくなってきてあたし わんわん泣いていた。起きたときもそのまま何だか哀しかったの。変だよね。これって日高の話がアレンジされてあたしの夢になっちゃってるんだよね。」
サエコも心の中で日高少年をイメージしようとした。けれど頭の中の輪郭はぼんやりとしてはっきりした顔にならずゆらゆらとジュンペイの顔になったりした。
─ ジュンペイは大人しいけど 日高先生とは違うわ。
サエコは頭を振ってユミに笑って見せた。ユミはユミで 進路のことなど気になってるのかもしれない。
*
唐突にそのお手紙は渡された。
「担任の日高は療養のため、本年度いっぱいお休みを頂きます。
なお、後任につきましては・・・」
校長の名で出された いつもの連絡事項の「手紙」だった。親たちが先生に対する苦情を学校側に言いに行ったとしても担任の交代なんて簡単ではないと思っていた。何度も会合があったり 校長を交えて話し合ったり終いには親同士も意見が分かれたりぐちゃぐちゃになることは サエコも覚悟してたのになんともあっけない幕引きだった。
ジュンペイは手紙をサエコに渡しながら
「先生 病気なんだって。」
とだけ言った。子ども達に残す言葉もこれといってなかったらしい。
「職員室の掃除してたら メ・・日高先生が 荷物片付けてたよ。」
突然のことでユミも戸惑った顔をしていた。
─ メダカーノ ガッコウハー
ジュンペイが ランドセルを片付けながらぼそぼそ歌っている。
「川の中~、だよ。その続き。」
ユミがジュンペイに教える。
「ユミが小さい頃は お手手つないで散歩しながら よく 童謡とか歌ったっけ・・」
サエコが懐かしそうに言うと
「ズルいー。おねえちゃんばっかり。」
ジュンペイがぷぅっと膨れる。ユミがふざけてジュンペイの手を取って
「今からでもしてあげるよねっ。おかあさん。」
恥ずかしがるジュンペイを挟んで ユミと一緒にサエコは歌った。
メダカを見つめていた気弱な少年のことを想像して サエコは少し胸が痛くなる。
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