「『自分は閉じてます』ってアピールしてる感じがするなぁ」
とそのオトコは言った。まだ義人の名前も知らない頃のこと。
バーガーショップの妙に明るい店内で彼と向き合いながら 私はその言葉をぼんやり聞いていた。まだ親しいとも言えない ただの顔みしり程度の関係だったのに相席いいですか?と問われ返答する前に 彼は向いの椅子に座っていた。
「ハグとかって、どうなんだろうな…」
黙ってコーヒーを啜っていると 唐突に彼は言った。
何を言い出すんだコイツ。
いきなりの質問にポテトの欠片が開いた口から転がり出そうになった。
「自然体でそういうのできたら、何かが変わるかもしれないとか思わない?」
さっきの「閉じている」発言から続けて、驚いたらいいんだか、怒ったらいいんだかよく解らない。
すぐに素直な感情を出す前に固まってしまう。自分で自分の「素直な気持ち」っていうのが解らない。確かに我ながらやっかいな性格だとは思う。
咄嗟のことにうろたえたのが見てとれたのか、義人は愉快そうに目を細めて私の顔を見聞きもしないのに最近観たDVDについて語り出した。
「文化の違いについて考えていたところなんだなぁ。実は」
その映画は、クリスマスやバレンタイン頃によくあるハートウォーミング系のオムニバスドラマだ。「『恋人同士』じゃない男女のハグっていうのがね、」
そういうのが成り立つ「西洋文化」っていうのについて 彼なりに考察したという。
「日本人じゃ、なかなかああはいかないよなぁ、と思ってさ」
案外面白い人なのかもしれないなぁと、くるくる変化する表情と よく動く唇を眺めながら思ったのだった。
「で、思ったわけ」
義人は息をつき、カップから氷が融けて薄まったアイスコーヒーの残りをすする。ズズズッという遠慮のないその音を聞いて いきなり現実に引き戻された気がした。
「もしあなたが『閉じている』なんて言われるのに今、ムカっときたんならさ、そんな自分のカラを破りたいと思っているとしたら」
人懐っこそうな目でじっと見つめられて困惑する。何なんだいったい。
「僕とハグ……」
バックで その軽そうな頭をバコンとはたいて席を立った。
*
「ハグ攻撃でやっと相手がさ、気持ち開いてくれた」
とろけそうな笑顔で急に話し出す義人の顔を見て、またハグの話か、そう思った。
誰か他にも同じ手で迫ったわけだ。ふうん、と思った。
懲りもせずまた同じバーガーショップで 懲りもせずまた義人は勝手に相席しに来る。会うのが嫌なら別の店に行けばいいんだとは解っていたが、それだけの理由で自分がお気に入りの店に行くのをやめるっていうのも大人げない気がした。意地もあった。自覚はなかったけれど少しだけ 義人への興味もあったのだ、と今では思う。
「本当は人恋しいくせに近づこうとしない、そんな子でさ」
「…そうですか」
「のりさんと ちょっと似てる」
「そんなことで私と似てるなんて言われても」
……別に嬉しくないんですけど。
「ハグさせてもらうまで長いこと掛かったけどさ、いやぁ、今ではもうお互い離れられない存在って感じで」
「ふうん。それは良かったですね」
不機嫌そうに聞こえないように注意して答える。
「最近なんかあっちから寄って来てさ、喉なんかゴロゴロいわせて目細めちゃって」
「?」
「ニワって名前付けた、猫、好き?」
以下義人の話を要約するとこうだ。ハイツの1階の部屋には小さい庭があり、そこによく来る猫がいたが いっこうに懐かない。最初は警戒され逃げられていたが、脅かさないようにしていたら エサを食べにそばに寄って来るようになった。だんだん近づいて来てやっと触らせてくれるようになったけれど、それでもまだまだ心を開かない。少しずつ少しずつスキンシップを増やし、やっとハグを許してくれる仲にまでなったのだそうだ。
映画の時の話といい猫の話といい、目をキラキラさせながら嬉しそうに語りつづける彼の様子に、悔しいけれど思わず次の言葉を期待して待つ自分がいた。ハグできる仲になった相手が猫だったと解ったその時の、自分の力の抜け方が可笑しかった。
*
母が亡くなって、実家をぼつぼつ片付けていたら色々な古いものが出てきた。幼稚園のお絵かき帳、小学校の時の賞状。私が放置していたものを母は丁寧にまとめて大事にとっていたのだ。その中に「伸びる力」とかいう名のついた小学校の成績表も入っていた。
「内向的なところがあります。もっと積極的にお友達をつくりましょう」
義人に言われたのと同じようなことが成績表の「先生の所見」のところに書かれている。おずおずと見せた幼い頃の私をふと思い出す。母はゆっくりとその短い文章を吟味するように見た後、言った。
「もっといっぱい、いいところ書いてくれたらいいのにね。こどもにも解りやすい言葉使ってさ」
母にしたら、あんたにはもっと褒めるところがあるのよ、と言っているつもりだったのかもしれない。
「でも、その時私は思ってしまったんだよね」
縁側で、義人は爪を切っている。最近は義人相手になら少しだけ素直に話せるようになった気がする。
「自分の性格はいけないんだ。お母さんもそこをよく解っているのに、先生が書いてきたから余計怒ってるんだ、そう、思った」
義人は母の葬儀から付き添ってくれて、実家の片付けを手伝いに来てくれた。今、義人とニワと同じ屋根の下に住んでいる。義人が聞いてるのかどうか良く分からなかったが続けた。
「自覚はあったんだ。新しい友達を作るのも苦手だったし、ひとりでいても平気だった」
パチン。大きな音を立て義人の足の爪の小さな欠片が飛んだ。
「でもさ、それってアレだな、うん」
短い沈黙の後、義人がゆっくりとこちらを向いた。どうやら聞いてたみたいだ。
「クラスでさ、みんながみんな積極的で社交的ってのはさ、先生にしたって案外、ややこしいもんだと思うなぁ」
猫の「ニワ」がいつの間にか現れて縁側にストンと飛び乗ってきた。義人の足の指を目を細めて舐める。
「先生がそれを目指していたとしたらそれは大きな間違いだ」
ニワのつややかな黒い毛を撫でながら、義人は続けて言う。
「のりさんがのりさんで良かった。まあ、そういうことだ、なぁニワ」
話しかけられたニワはナォーンと甘えた声を出し義人の膝に上り、気を良くした義人はニワを更に抱き上げ抱きしめて、頬を寄せすりすりする。
「何ですか、そのいい加減な感じの結論は」
ニワと義人の相思相愛ぶりにちょっと嫉妬を覚えながら黒光するちゃぶ台の上のピーナッツを義人に向って投げると、義人は素早い動作でキャッチし「サンキュ」、ポンと口に放り込んで 呆れるほど美味しそうな顔をして食べた。
「いい加減じゃないよ。心からそう思ってる」
*
バーガーショップの「相席」が、何度も重なって、それぞれの観たDVDが少しずつ重なった。ニワの来る義人の部屋で一緒に観たDVDが増えていった。選ぶ映画も感想も、色々違うところもあるけれど 何だかちょっとズレた義人の視点はいつも面白いと思う。いきなりの義人からのハグはやっぱりあり得なくて、冗談でごまかした。
母が亡くなってひとりで帰るつもりだった実家に 今、義人とニワがいる。
大好きなひとに自分から積極的にハグできるようになったら 自分も少しは変わるのかな。それともやっぱり変わらなくてっもいいのかな。そんなことを思いながら TVに夢中な義人の横顔を覗き見る。残念なことにいつもそこにはニワが先にいて 私はまだ義人の胸に素直に飛び込めないでいる。
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