「たまにしか来れないけど ごめんね。」
フクオカさんが言ったとおりそう賑やかな日は続かない。スケッチブックの「三つ編み」は、ほぼ完成していて、この後どうしたらいいのか キリエは 考えをまとめかねていた。
久しぶりにまたあのキャンバスを出して来て眺めてみる。自分で描いてみると、この作者の圧倒的な上手さが改めて解かる。キャンバスを手に取って眺め、ふと裏側の隅っこに目がとまった。
気がつかなかった。木枠の隅にごく小さく書かれたyosiharuというサインをキリエは見つけたのだった。
*
「三つ編み」は キリエの教室での話しを聞きたがり、ヤスモトのすることなすこと面白がる。そして、キリエの口にするクラスメイトの名前が増えるたび「三つ編み」は嬉しそうにその名を繰り返して言った。
「三つ編み」のことも時々、キリエは尋ねてみる。自分の話を楽しみに聞く人がいることも相手のことを知りたいと思うキリエ自身のことも不思議に新鮮で、そのことを改めて考えるとムズムズするくらいテレくさかった。けれど「三つ編み」はもう何か聞いても
「キリエの話が聞きたいな。」
自分の話を後回しにし、思い切っていまさらながらの名前を聞いても
「ミステリアスなままも案外楽しいよね。」
なんて言って 明るく笑った。
「疲れたから 今日は もう帰るね。」
「三つ編み」はあまり長く美術室にいないようになっていた。
「三つ編み」がいない時間が増えるのと交替のように、この頃はコーラス部を切り上げてフクオカさんが来たり、生徒会の仲間を連れてアサギ君が覗きに来るようになった。ヤスモトもたまに顔を見せ、けたたましくしゃべっては帰って行く。たまにしか来ないと聞いていた他の部員たちも少しずつ顔を出すようになって来ていた。「三つ編み」はそのうちの誰とも 同じ時間に美術室に来ることは なかった。
* * * *
「OBの知り合いに頼んで、念のため5年上の先輩まで聞いたけど、この数年間の内に事故で亡くなったヨシハルなんて先輩、いないわよ。」
フクオカさんにだけ「三つ編み」のことを打ち明けてみた。「三つ編み」に会えない日が続いていた。仲間が増えたのは嬉しかったけど やはり「三つ編み」に会えないと寂しかった。
「ここの制服着てるんだしたぶんその三つ編みの人は3年で 絵を描いたヨシハルさんもそんなに上じゃないはずだよね。ここの美術部の先輩でそんな人がいないとすると・・・。」
「でも 描いたのは’美術部のひと’って、聞いた。」
「よその高校の・・とか・・?」
下絵の「三つ編み」を片手で目の高さまで持ち上げて眺め
「本人に聞いた方がよっぽど早いのにねぇ・・」
フクオカさんはふっくらした白いもう一方の手を頬にあてて考える。
「でも3年生の先輩でこういう外見の人知らないなぁ・・。不登校の人なのかなぁ・・。」
ガタンと音がして誰かが美術室を覗いた。キリエの担任の「物理」。
「あ、モリモト先生。」
フクオカさんが呼び止める。
「先生、顧問 引き受けてくださるんでしょ?いつまでもはっきりしないままじゃ困ります。」
副部長の顔になってフクオカさんは「物理」を引き止めた。
フクオカさんに部屋の中に引っ張り込まれた「物理」の視線が 机に置かれた絵の上でピタリと留まる。モリモトヨシハル「物理」のフルネームを先に呟いたのはわずかの早さでフクオカさんだった。
絵が上手いモリモトヨシハル
でもそれは・・高校生だったのはずっと昔のことだ。大学を出て、遠方で何年間も教師をやって今年の春久しぶりに母校に帰ってきたと聞いている。そして「ヨシハル」は生きている。間違いなく・・今 生きている。その絵を見て 確かにうろたえた様子だったのに「物理」・・・ヨシハル先生は 「フクオカさん・・・顧問って・・やっぱり 他の先生に頼んでみます。それを 言いに今・・・ボクは来て・・」
後ずさるように出て行こうとした。
「先生!!」
キリエが叫ぶ。このまま 知らん振りなんかできない。キリエの声に驚いて窓近くの木で休んでいた 鳥たちが一斉に飛び立った。
「この絵は 先生が高校生の時描きかけてた絵ですか?」
* * * *
「三つ編み」はユカさんという。複雑な家庭で育った人だ・・ ヨシハルも噂には聞いていた。
ヨシハルは転校生だった。ちょうどキリエみたいに。
美術部に入って、一人放課後に絵を描いていたヨシハルに、ユカさんは話しかけてきた。誰に対してもなかなか打ち解けないヨシハルに、ユカさんは根気よく付き合ったという。
─ 私をモデルにして描いて欲しいな。
ユカさんはそう言って、ヨシハルのために美術室に通った。
「事故だったんですか?」
「詳しいことは 解からない・・。ただ 美術室でよく二人きりでいたと誰が言ったのか 警察が僕のところにも来た。 恋人だと思われたみたいでしつこく色々聞かれて、正直 逃げ出したくなっていたんだ。」
「自殺とかの可能性もあったんですか?」
クオカさんが続けて聞く。
「悩みもいっぱいあったと聞いた。でも、自ら死を選ぶような人ではないと僕は思ったんだ。他人には上手くは説明できなかったけど。」
「完成してあげる事は できなかったんですか?ユカさんの絵。」
「親に転勤の話が来て 絵をそのまま置いて転校した。内心 ほっとしていたんだ。情けないヤツだよね。本当に。」
「先生」
キリエは数歩近づいて ヨシハル先生の顔を真っ直ぐに見る。きっとユカさんならこんな風にこの人と向き合って喋る。窓の外の鳥たちを驚かすことなんて決してないだろう。
「その絵を仕上げてって ユカさんは私に言ったんです。 そのときの制服の、そのままの姿で 私の前に現れて 描きかけで放り出されちゃったからって・・。きっとちゃんと残して欲しかったんだと思う。そしてちゃんと解って欲しかったんだと思う。だから・・それを仕上げるのはやっぱり私じゃない。」
キリエはスケッチブックを「ヨシハル」の描きかけの絵に並べて置いた
* * * *
「ヨシハル~、準備室なんかでコソコソ描かないで、かわいい生徒と一緒にこっちで描こうよぉ。」いつの間にかすっかり部員に落ち着いているヤスモトが ヨシハル先生を準備室から引っ張ってくる。
「その ヨシハルっつーのやめなさい。仮にも先生なんだから呼び捨てはいかんぜよ。」
ヤスモトの首をアサギ君が後ろから絞める。
「仮にも、は余計~。」
フクオカさんがエクボを見せる。フクオカさんのエクボ、いいな、好きだな。キリエは思う。
少しずつ遅れて他の部員が入れ替わりやって来る。
ヨシハル先生はあの絵を完成させて次はもっと大きなキャンバスでキリエたちの姿を描き込んだちょっと幻想的な絵を仕上げる という。
「ユカさんも その絵の仲間にはいってるんでしょ?」
キリエが聞くとヨシハル先生は照れくさそうに頭をかきながら、それでもちゃんとキリエの目をみてうなずいた。
放課後。油絵の具の匂い。今日も美術室には 笑い声。窓の外の木には 前よりたくさんの小鳥たち。あの中に寂しがりやで世話好きな小鳥が一羽いていつも美術室を見守っているんじゃないかな・・筆を動かす手を止めて キリエは鳥の声に耳を傾けた。
美術室には小鳥たち これでお終いです。お付き合いありがとうございました(^_^)
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