「三つ編み」は こんなことを嘘や冗談で言う人ではない。知り合って間もないけれど キリエにもそれだけは信じられるような気がした。グラウンドの野球部の掛け声と 吹奏楽の練習の単調な音だけが静まり返った美術室に響いていた。
─ この絵を描いてた その「美術部のひと」はもういない。絵を完成させることもできない。 そういうことなんだろうか?
「いのちって こんなに簡単になくなっちゃうんだって思ったの。交通事故、ほんとに一瞬のこと。生きたかったのにね。」
後ろ姿の「三つ編み」の真っ直ぐに伸びた背中を見ながら キリエは返す言葉を静かに飲み込む。─ それなら余計、そのひとは、自分の絵に重ね塗りなんてして欲しくないと思う。自分の手でちゃんと仕上げたかったんじゃないのかな・・
この絵を描くこと、この人に係わり続けるということは他人の悲しみに踏み込む覚悟が要るのかもしれない。ずっと未完成のままずっと下描きのままのキャンバスの上の「三つ編み」。
このまま キリエたちが卒業してもずっとこの棚の上に居続けるのか、と思ったら 完成させて欲しいという「三つ編み」の気持ちも少し解かる気がした。
*
「で、友達はできた?」
「三つ編み」が聞く。
「転校生でしょ、それも数回転校経験済み? ふふ 2年生なのに制服新品だものね。」
「他人のこともできるだけ聞かない。答えがなくても気にしない。自分のことも言わない。深入りしない? それって・・転校生として身に着けた 自分を守るワザ?」
返事も待たず「三つ編み」が 重ねて聞く。
「友達なんて・・私は 別に・・」
「私はどう?友達?キリエちゃんは私に名前も聞かないね?」
スケッチブックに書いたキリエのネームを指でなぞりながら「三つ編み」の目は笑っていなかった。
* * * *
「ヨシタニ キリエっ!今日 美術部部長と副部長、クラブ行かすからなっ。」
教室中振り向くような大きな声でヤスモトが話しかけてきた。おせっかいなヤツ・・声、デカすぎ。
部長、副部長はおろか、キリエが美術室に通いだしてから実際のところ 「三つ編み」以外の誰も放課後 美術室に来ないのだ。
「へぇ・・ヨシタニさんって 絵が得意だったんだぁ。もうクラブ入ったの?」
近くの席の女子が聞きつけて 話しかけてくる。
「美術部顧問って今いないんでしょ、ヤスモト? 産休の先生クラブ顧問はしないんだって。ああ、タナカちゃんってそろそろ臨月だっけ~?」
話はもう、キリエを通り越してキリエの知らない美術教師のおめでたの話に変わっていく。会話の輪の真ん中の位置に立たされて、解らない話題に愛想笑いで相槌を打つ時間は酷く長く感じられれた。
*
「あ、そう?じゃあ、今日は モデルは休業ね。」
「三つ編み」は言って、さっさとドアの方に向かい 廊下に一歩踏み出してから少し立ち止まる。そして 反らした上半身を教室側に残し、「三つ編み」は言った。
「いい友達なんじゃない?ヤスモトくん・・だっけ?」
「どこにでも 一人はいます。転校生が珍しくて面白がって構うヤツ でも すぐ飽きちゃうか新しい転校生が来る・・。」
「そうかな?」
「違うって言えますか?」
「例えばさ・・・。小さい頃 家庭の事情で自分だけここに住んでるの。遠い親戚に預けられて。 親の育児放棄のせいで愛情慢性不足ぎみ。自分がこの土地になじむまでそれは 辛かったから。ずっと寂しかったから・・。でも溶け込んでみたら結構ここで楽しみも見つけられたから。そんなヤツだから 他人のこと気になるの・・」
「ヤスモトが?」
聞き返すキリエの目を「三つ編み」は真剣な目で見返した後 スイッチが切り替わったかのように 驚くような明るい顔で笑った。
「ふふ、そんなこともあるかもしれないしないかもしれないね。ああ、今のは私が作った話だから。ヤスモト君は私の知り合いじゃないし。」
一瞬信じた。なあんだ・・と キリエは急に力が抜ける。
「ま、だから不幸な子だとか、だから自殺願望があるだろうとか 勝手に大人に想像されるのが 一番迷惑なんだな、こういう場合。」
呆け顔のキリエを一人残し「三つ編み」は向こうを向いたままそう付け加えると、じゃあね、と手を振った。
*
「じゃあーん。部長のアサギ君と副部長のフクオカさんでえっす~。」
ついさっき静かに閉じた戸が騒々しい音とともに開けられた。
「帰宅部の星、ヤスモト君もわざわざ来てやったぞ。」
ヤスモトに制服のジャケットの襟をつかまれた男子1名、ひとなつっこそうなエクボの女生徒1名。キリエはスケッチブックを閉じて鞄の脇に置き、会釈する。
「3年は引退してるから私たち同じ2年。アサギ君は3組、私は1組。ヨロシクね。」
─ アサギ君は生徒会やってて、私はコーラス部と掛け持ちなのよ
フクオカさんはキリエに あまり来られない理由を説明した。
「二人ともサボってばかりいないで、絵、描きんしゃい。新入部員が一人ぼっちでクラブしてるなんて寂しいでしょ、なぁ、ヨシタニ。」
「オマエこそ、フラフラ帰宅部で退屈してるんだったら美術部来れば?」
アサギ君はヤスモトの首を絞める格好をし ヤスモトは派手なリアクションをする。
─ 男子ってこんな風にじゃれあったりするんだ。
キリエが 珍しそうに眺めているとフクオカさんがキリエの肩を叩きながら笑った。
「可笑しいでしょ。周り、こんなバカばっかり。
人が集まるだけで 同じ部屋がこんなに違うのか、と思うほどその日の美術室は活気があった。
モノクロの絵に色彩がついたよう・・キリエは 壁や天井を初めて見るもののように首を巡らして見た。ヤスモトは思いつく限りの学校の話題を提供しつづけ、フクオカさんとアサギ君の二人はキリエにも解かるよう、補足しながら会話した。
キリエの担任の物理のモリモトはここの卒業生で 遠い地方の学校から最近赴任してきたことや実は絵が上手いらしいなんて話もこのとき初めて聞いた。フクオカさんはコーラス部で練習してる曲を男子二人に指導し、二人のあまりの下手さにキリエも思わずふき出した。窓の外では鳥たちが木の実をついばんでいる。下手な歌声を面白がるかのように 一羽の鳥が一番近くの枝にとまってチチチと鳴いた。 (③に続く)
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