ここから 降りられるかな・・
キリエが手を伸ばすと気配に驚いて 数羽の小鳥たちが 一斉に 飛び去った。
壁に沿った低い棚。いくつものキャンバスが無造作に置きっぱなしになっている。文化祭に展示した作品を 部員たちが 持ち帰らず卒業した生徒まで、そのまま置いている、そんな感じだ。
キリエのような物好きの転校生でもいない限り誰も手にとって見ないのか、それらの絵はどれも ほこりを被って沈黙していた。絵の出来不出来はともかく、一応完成した絵ばかりだと思っていたが重ねて立てかけられた後ろの方の 粗いタッチの下塗りだけの人物の絵が目にとまった。
モデルはこの学校の女生徒。「伝統あるスタイル」と校長が言うところの古めかしいデザインの制服。ダサいって はっきり言ったら?とキリエは思ったけれどここの生徒たちは妙に素直で、レトロの極みのこの制服を誇りにしているらしい。絵は まだ下描きの段階だったが少女のはっきりした意志の強そうな目は 印象的だった。
* * *
「美術部の人?」
急に後ろから声をかけられ、キリエはドキリとする。レトロな制服に似合う レトロな三つ編みの人。
─ 見たことあるぞ
って・・ 転校してきてから1ヶ月は経つのにキリエはまだクラスの子の顔も名前もほとんど憶えてない。記憶をなんとか たどろうとしていると
「それ、私。」
その人はいたずらっぽく笑いながら 絵を指差して言った。
─ この人だったんだ。
昨日見つけた 下描きの油絵。見比べる。確かにその人だ。間違いなかった。
「まだクラブ入るかどうかも決めてません。あなたは 美術部の人?」
「私?そうね、私は’美術室の人’・・・かな。」
聞こえるか 聞こえないかくらいの小さな声でその人は 歌でも歌うように そう言った。細い三つ編み 白い肌 真っ直ぐに相手を見る大きな目も 絵のとおりだった。
3年生かな?
キリエの周りの子たちより ずっと落ち着いて見えた。真面目そうなのに 名札はつけていなかった。
「お願いがあるの。」
その人は言う。顔は笑ってたけれど声に何か真剣なものを キリエは 感じ取る。
「その絵、完成させてほしいの。美術部のひと’に頼んで 描いてもらってたのに、描き掛けで放り出されちゃった。」
「私 油絵なんてまともに描いたことないですよ。それに描きかけの他人の絵の続きなんて……」
初対面の、それも絵が描けるのかどうかも解からないキリエに何でそんなこと頼むのだろう・・
─ もしかして からかわれてるのかな
けれど、その人の周りの空気にはほんのかけらも悪意の気配がない。あまりに突然な申し出だったのと 他人に踏み込まないキリエのいつものクセでその人の名も、絵の作者のことも 聞きそびれた。
* * * *
とりあえず、美術部に届けを出した。
─ チームワークが良いからきっといい仲間ができるよ
担任の’物理’がそう薦めるから 運動部は入らない。生徒と目も合わせられない地味な研究者タイプ。「運動部がお薦め」なんて 絶対この物理個人の意見じゃなさそう。やたらと’いい学校’をにこやかに強調する先生たち。どうも この学校 胡散臭い。
「いつでもいるから きっと描いてね。あなたに続きを描いてもらいたいの。」
「三つ編み」の、その言葉が妙にひっかかって届の用紙に「美術部」と書き込んだ。
*
「活動なんか してないぞ、あそこ。」
やっと名前と顔が一致したひとり、ヤスモトコウスケが 言う。
「かけもちのヤツも多いし、とにかく文化祭に1作でも出しとけばOKってなクラブだな。」
ヤスモト自身は運動部リタイヤ組で帰宅部だという。
「美術室なんか行っても誰もいないと思うよ それよりクラスのヤツ集めるからカラオケ行かない? ヨシタニキリエちゃんの 歓迎会ってことでさ・・。」
ヤスモトの言葉を軽く流して、美術室に向かった。人の歓迎会にかこつけて騒がれるのはごめんだ。
* * * *
事情もわからないまま 他人の絵の続きを描くわけにもいかない。それでも 確かに「三つ編み」は モデルとしてどこかキリエをひきつけるものがあった。
─ そのうち事情を話してもらえるかもしれないし・・。
キリエはとりあえず自分のスケッチブックに彼女を描くことにした。絵を描くことは好きだった。─他人の事情に興味を持ったり 人の頼みをどうにかして叶えてあげようなんて自分らしくない。
調子狂っちゃう・・ キリエは思う。
*
転校ばかりしてきた。転勤が多い父に 母は意地でも「家族は一緒」を貫いた。親は姉の転校の時期には神経を使ったが 次女のキリエの方は「何とか上手くやっていける子」だとそう言って あまり気に掛けてくれなかった。
なんとかやっていけるキリエの学んだことは 出来上がった友達関係に無理やり入らないこと。イレテモラッタという 立場を守ること。期待しすぎないこと。自分を見せすぎないこと。近づきすぎないこと。
* * * *
「三つ編み」は キリエが放課後美術室に行くといつもひとりで待っていた。
「これ描いてた人ってもう絶対、続き、描かないんですか?あ、卒業したとか・・?」
スケッチブックに鉛筆で大まかなかたちをとりながらキリエは聞く。
「話したくないことだったら いいんです。ごめんなさい。」
窓に一番近い枝にとまってこちらを見ていた小鳥が軽く枝を揺らして 他の枝に飛び移る。
「三つ編み」は 飛び去ったあとの鳥のいない枝をしばらくの間黙って見つめていたが、振り返ってキュッと唇を噛んだあとキリエが考えてもみなかったことを言った。
「描きかけなのにね。事故で死んじゃった・・・ 私 ちゃんと仕上げてほしかった。」 (②に続く)
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