弟のシンヤは よく そう言う。
ウチは ペット禁止のマンションの 12階。子ども部屋の窓から 見下ろすと 小さく駐車場が見える。
子猫の「のら」を見つけたのは その駐車場の植え込みの中だった。そばにあった 白いトレイに 何かエサが 入れられていた形跡があるがもうすっかり乾いている。空腹なのか みゃー みゃー情けない声で鳴いていた。
「お姉ちゃん、牛乳とかやっちゃダメ?」
12階まで上がることも大変だったけどそれよりも・・
「ダメ。アンタも知ってるでしょ。この前向いの棟のおばあちゃんが・・」
動物好きの1人暮らしのおばあさんが、野良犬や野良猫にエサをやっているのは大抵の人が知っていた。本当は敷地内でエサをやるのも禁止なのだ。
おばあさんがエサをやるのでのら犬やのら猫が居つくようになったのだ、と専用庭にウンチやオシッコをされた1階の人が言い出した。おばあさんはそこの人にかなり厳しく文句を言われ管理人さんは 「犬、猫の嫌うにおい」のする粉末をあっちこっちに撒いて回った。
「エサやっちゃやっぱりダメかなぁ・・」
ママに 何気なく言ったらママは私の生物や保健や公民のテストの成績のことを急に持ち出して
─そんなこともちゃんと考えられないようだからあんな点取るのよ。猫の柄のエプロンをつけたまま ぶつぶつ言った。
シンヤがこっそり煮干やチーズを持ち出して「のら」にやっていることは知っていた。「のら」は すっかり大きくなって堂々とした野良猫になっている。チビのシンヤがそれでも赤ちゃんに言うような調子で「のら」に話し掛け、指先をペロリとなめてもらうだけで嬉しそうにしているのを笑いをこらえながら見るのが私は好きだった。
ある夜中のことだ。
シンヤが窓を指して言った。
「お姉ちゃん、のらが来た。」
寝ぼけてるんじゃないの? いないよ。大体ここ12階だよ。
念のためベランダに出てみたが、猫なんていなかった。私に探させておいてシンヤはとっくに寝息をたてていた。
その日から「のら」は ぱったり駐車場に来なくなった。動物好きのあのおばあさんが、ひとりひっそりと亡くなっていたという話は後から聞いた。
あの夜だったんじゃないかな・・と ちょっと思う。
おばあさんはそのときひとりぼっちなんかじゃなかった「のら」がいた・・そう思いたい。
「ルナちゃん」「ルナちゃん」
シンヤと商店街を歩いていたら店先でエサをもらっている「のら」そっくりの猫を見たのは何ヶ月も経ってからのことだ。
喉を鳴らし、おなかを見せて寝転ぶ様子を見て飼い猫ですか?と聞くと通い猫だという。
「『のら』じゃない。」
シンヤが 猫を横目で睨みながら言った。
「『のら』は あんな甘え方する猫じゃないもん。」
元気に生きてて誰かに可愛がられてたほうが いいじゃん・・・
そう言いかけて見たシンヤの目が赤かったので、言うのをやめて 久しぶりにシンヤの手を取った。
以前より少しだけ骨ばった感じのするその手を きゅっと握って何も言わずに ふたり 歩いた。
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