週末にスイーツバイキングに行くから付き合えと鈴が言った。そんなところは女子同士で行った方が楽しいのではと、蒼汰はやんわり断ったが、鈴に押し切られた。
鈴の母親の奈津子おばちゃんが亡くなって、まだ一週間しか経っていない。いや、鈴にとっては「やっと一週間」なのかもしれない、それとも「もう」なのだろうか。一週間の重さを測りかね、結局蒼汰は鈴に何も言い返せなかった。
奈津子おばちゃんが入院してからの数か月、鈴は毎日病室に通い、プリンやゼリー、アイスクリームを届けて、一緒に食べたという。本当は焼き菓子が大好きなのに、ずっと熱っぽくて、そういうものしか食べられないとおばちゃんが嘆くから鈴は、良くなったら、スイーツバイキングに行って 思いっきり食べようね絶対だよ、そう何度も約束したのだそうだ。
蒼汰の母親は仕事で帰りが遅かったので、小学校卒業の頃までは、幼馴染の鈴の家で過ごすことも多かった。おばちゃんはお菓子作りが得意で、いつも手作りのケーキやクッキーをおやつ時に出してくれた。その頃のことを思い出すと オーブンから漂う甘い香りと焼きあがった時のわくわくした気持ちが蘇る。
昨日から学校に出て来た鈴は 思ったより元気そうだと、クラスのみんなは言った。葬式で憔悴しきった姿を見ただけに、登校したらどう接したらいいのか気を揉んでいた鈴の親友の山田や古木は少なからず安心したようだった。
「昨日も山田たちとクレープ食べて帰ったんじゃねぇの?」
「よく知ってるね」
「帰る前から騒いでたじゃん。何食べようかとか、どれが好きとかさ」
そう、やたらと五月蠅かったのだ。笑い声がかん高くて、頭痛がした。他のグループの女子がちらちら鈴を見ているのも気に入らなかった。
宝石箱みたいにきらきらした苺のタルト、ふんわり生クリーム添えのシフォンケーキ、マロンクリームが繊細な螺旋を描くモンブラン、エクレア、ティラミス、チーズケーキ。スイーツを載せた皿を鈴は黙々と作り上げ、次々と平らげてはまた、これでもかという程大量に載せた次の皿を持って戻って来る。見ているだけで胃もたれする。
鈴の皿の半端ない量と、憑かれたように食べ続ける様に、周囲のテーブルの客たちも気づく。好奇の視線がぐさぐさ突き刺さる。何やらささやく声もスマホで何かをツイートする様子もシャッター音もすべてが鈴と自分のことを言っているように蒼汰は思ってしまう。居たたまれない気持ちで鈴の食いっぷりを窺った。
「おい、鈴」
無言で食べ続ける鈴に声を掛ける。
「おい、鈴、食いすぎ。腹壊すぞ」
ストレス解消にしても、と言う言い方はデリカシーが無いと思う。だけど、この食い方は異常だ。いつもなら、食レポ宜しく感想やら蘊蓄やらうるさいくらい言いながらゆっくり味わって、食べる奴だ。ずっと無表情なのも気になる。日頃は解りやすく気分が顔に出る方なのだ。
「無理しなくていいよ、って言われるの。お昼にお腹すいたって言っても、クレープ食べて美味しいねって言っても」
俯いたまま鈴がぽそりと言う。
「山田は小学校の時大好きなお祖母ちゃん亡くしてて、コキちゃんは去年タクヤが死んじゃったって」
「タクヤって?」
「ゴールデンレトリバー。ほら、こんな大きさのふさふさの。一緒に散歩してるところ会ったことあるでしょ」
「犬か」
蒼汰が言うと、鈴は急に顔を上げ、真剣な顔で声を上げる。
「タクヤだよ。コキちゃんはほんとに大事にしてたの。大好きだったんだから。家族で親友で恋人だったんだよ」
「そっか」
その後の沈黙はやたら長くて、この先ずっと、鈴は何も言わないんじゃないかと蒼汰が思った時、また鈴は呟くように話し始めた。
「そしてね、二人がね、言うの」
山田はばあちゃん亡くしてから長い間食欲がなくなって三キロ痩せた。古木は何をしていても勝手に涙が出て止まらなくて、匂いも味も解らない日が続いたんだという。
「なのに私はね、ちゃんとお腹がすくんだ。ご飯の時間が来たらご飯食べられる。お母さんいなくてもご飯食べるんだ」
そう言いながら、鈴は積み上げたプチシューをぐさぐさとフォークで刺し、合間に口に放り込んだ。
「それにね こういうのも全部、やっぱりちゃんと甘いの。美味しいの」
返す言葉も見つからず蒼汰は鈴の手元と、俯いた鈴の顔を覆う前髪を見る。思い出すのは先を争って食べた奈津子おばちゃんの手作りのおやつ。教わって初めて作ったクッキーは少し焦げた。いつでも美味しい美味しいと言いながらぱくぱく食べる鈴の顔を見つめるおばちゃんの顔の嬉しそうだったこと。
「美味しくて、甘くて、どうしようもなくて 甘くて 美味しくて…少しだけ、苦い」
ぽたり、フォークを持ったまま止まったきりの鈴の手の甲に大粒のしずくが落ちた。その後も鈴は繰り返し繰り返し同じような言葉を壊れたみたいに言い続けていたけれど、しゃくり上げながらの言葉は意味不明で、その様子がまた周囲の客たちの目を引きつける。だけどもう、そんなのはどうでもいい。蒼汰は思う。
「食うか、喋るか、泣くか、どれかにしなよ」
ほれ、と蒼汰はポケットに入ったままだったくしゃくしゃのハンカチを鈴に渡す。受け取ったハンカチで乱暴に頬の涙を拭くと震える声で詰まり詰まり、鈴が言った。
「わっ、わたし、た、食べて、ても、いっ、いい、いいのか、な」
「いいに決まってる」
「……こんな無茶な食い方じゃなければね」
蒼汰がそう続けて言うと、ハンカチを握りしめたまま、鈴はやっと顔を上げた。
一瞬見つめ合い、微笑むのかと思った鈴が いきなり目を大きく開くと
「──吐きそう」
青い顔をして席を立った。
*
「ごめん、今日は付き合わせて」
席を立った鈴が何を吐き切って来たのかは聞かない。青ざめていた顔の鈴の頬にうっすら赤みがさして、少しだけさっきより元気そうに見えた。
「次は山田たちに付き合ってもらえよな」
「うん、そうする」
そう言ってから 鈴が小さく付け加えた。
「あ、でもバイキングはもういいかな」
照れ隠しなのか、鈴が急に背中を小突いて来た。肩をつつき返す。もう一度蒼汰の背中を小突いて、鈴が急に走り出す。公園に連れて行ってもらった帰り道、よくおばちゃんと鈴と三人で駆けっこしたな、蒼汰はそんな風に思い出しながら鈴の後を追いかける。
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