泣き女(前編)+夏の終わり・最後の蝉(後編)












 祖母の葬式に来た婆さんは 棺に近づくと祖母の名前を呼びながら膝をつき、おんおん泣いた。






 親類もすでにいない過疎の島のとんでもないへき地の一軒家でひっそりと祖母は暮らしていた。転んで倒れたところを 幸いにも通りかかった郵便配達員が見つけたとかで、遠く離れて住む僕の母に連絡があったのだ。




 独りでは置いておけないのでやむなく呼び寄せることにし、うちの近くの病院や介護施設に入れたものの、慣れない都会では心身ともにどんどん弱り、あっけなく亡くなったのだった。




 婆さんは周囲の好奇の目をものともせず、悲壮な声をあげ、ぼろぼろと涙を流し続ける。




そんな風に泣く見知らぬ人がそこに居ることで、逆に冷静になる自分が居た。僅かばかりの会葬者も戸惑いの色は隠せない。




妹が僕の袖を引っ張って、「退くよね むしろ」




と囁いた。そんな言い方は不謹慎だとも思ったが 隠そうとした気持ちを言い当てられて 居心地が悪い。疎遠に暮らしていた祖母の死を泣くとか悲しむとかいうのも何か違う気がして 僕はずっと自分の気持ちを持て余していた。




 まだ幼い頃、僕の父は単身赴任先の事故で死んだ。




父方の祖母のため、母の再婚をきっかけに疎遠になったわけで、再婚相手との間に生まれた妹がこの祖母を知らないのも仕方ない。




 父の突然の死、母の再婚、妹の誕生、引っ越し、転校。短い期間に多くのことが起きすぎ、僕は感情を表に出さないこどもになっていた。あまりに無表情な小学生に友達も付き合い方が解らず距離を置く。先生たちもそんな僕の扱いに困惑を隠さなかったし、担任からの色々なアプローチは僕には迷惑なだけだった。




 引きこもりがちな僕の様子を知った祖母が母に声を掛け、気分転換になるかもしれないという理由で ある夏休み僕はひとり、祖母のもとで暮らした。短期間のつもりで訪ねた母に、僕はそのまま残ると言い張ったからだ。




「一緒に暮らしたことあるんだって?好きだった?ねえ、何か いい思い出話とかしてよ」




妹が聞き、小さな声で付け足して言う。




「泣けるかもしれないじゃん。あそこまでは無理だとしてもさ」




妹に言われて今さら気づいたのは あの頃をあまり思い出したことが無いということ。忘れていたかったからかもしれない。残ると言った時、母の様子に紛れもない安堵の色を感じたのを思い出す。そう、自分は家でも異質で邪魔な存在だと思い込んでいたのだ。おそらく祖母と暮らした時間も頑なで無感動な表情を崩さなかったのに違いない。






 斎場の外の、皆と離れたベンチでぼんやりしているとさっきの婆さんが近づいてきた。




「お孫さんね。すぐに解った」




イントネーションにきつい訛りのある言葉は祖母を思い出させる。




──こっちはあんたを知らないけど。




そう思いつつも軽く頭を下げた。




「あなたのお祖母さんの幼馴染でね、手紙を貰ってた。こっちの病院にいるってね」




──そして もう長くないって。




婆さんは 続けて小さくつぶやいた。






「幼馴染」だと あんな風に泣けるのか。




不思議だった。黙ったままでいると 婆さんは何かを思い出すように一瞬目を瞑り、僕の手を取って言った。




「『泣き女』は仕事。泣くのは、お金もうけのため。他人の不幸を金もうけのたねにする」




婆さんがいきなり本でも読むような調子で言う。何が言いたいのかよく解らなかった。




「イソップの童話。その中でもそんな風に言われる。うちの家族も陰で言われていたよ。あなたのお祖母ちゃんだけが仲良くしてくれた。優しくしてくれた......好きだった」






**




 ああ、そうだ。一度祖母の島の人の葬儀を見た。馴染みのない田舎の村の風習は異様で、大げさに泣き騒ぐ「泣き女」の様子が恐ろしかった。同時に父の葬儀で涙を見せない自分を見る周囲の目を思い出したのだ。あんな風に泣いたら「いい子」になれたのか、亡くなった人は報われるのか。あの時どうして自分は泣けなかったのか。




いつの間にか祖母が後ろに立っていた。小さな僕の手を包み込む祖母の手は温かかった。




「あんな風に泣かないと 死んだ人は寂しい?」




前を見つめたままそう聞くと、




「『泣き女』ね、島ではお弔いのための大事な仕事」




と祖母は答え、包んだ手をやわらかく握った。




「悲しいと……悲しいと、泣き叫ぶ人がいないといけない?」




祖母は静かに首を横に振り、




「皆が『泣き女』みたいに泣かなくてもいいの。大丈夫、心配しないで。あんたはそのままで『いい子』だよ」






**




 その時僕が何を思い出していたのか すっかり解っているように婆さんは言った。




「あなたがお祖母ちゃんと一緒に見た『泣き女』。あれが私の母親。村の人以外にあの姿を見られるの、流石に怖かった」




 怖かった?……仕事で大げさに泣くことも 泣かないこどもも 同じように周囲の目は怖いわけだ。




「あなたがさっき大層に泣いてたのは……仕事?」




嫌な言い方をした、と自己嫌悪に陥りそうな僕の目を見つめ 婆さんはふわっと笑う。




「私は『仕事』をしたことはないよ。『泣き女』の風習も母の代で終わり」




「残念?」




「どうだろう」




婆さんは 小さく肩をすくめて見せる。




「大丈夫。泣いても泣かなくても。あんたはそのままでちゃんといい子だよ」




祖母と同じ台詞を言って 婆さんは僕の背中をポンと叩いた。










※第五八回てきすとぽい杯 前後編の企画で「前編」として書きました。日を置いて「後編」として続きを書きました




泣き女~夏の終わり・最後の蝉






「実は知り合いだったとか?」




斎場の庭の玉砂利を踏む音がして、後ろから声がした。




妹だ。遠巻きに僕とその人の話す様子を見ていたらしい。






どれだけぼんやりしていたのだろう。見回すともうさっきの婆さんの姿は無い。暑かった陽射しも少し和らいで、近くで鳴いていたツクツクボーシが最後の一鳴きを残し、飛び去った。






「祖母ちゃんの幼馴染らしい。『最後の泣き女』、の娘だって。」




──なに、それ?




言うのとほぼ同時に 妹はいつも何処でもいじっているスマホでさくさくと検索したかと思うと、早くも目についたサイトを読んでいる。




「うっそぉ、妖精さん?しかも、もうすぐ死人が出る家に現れて泣くんだ。でもさ、あの人って葬式に来たんだよ、順番違うじゃん」




──まさか これから誰か死ぬのかな。縁起でもない。




目はスマホ画面へ向けたまま、妹はぶつぶつと言い続ける。






「だからさ、あの人は、そういうのじゃなく」




僕が言い切るより前に、妹は先を読んで続ける。




「なんだ、違う、違う。妖精さんは綺麗なお姉さんだし。ほら見て、お婆さんなんかじゃない」




僕の袖を引っ張って、掲載されたモデル風の女性の画像を示して来る。かなりな見当違い。




「そういう『泣き女』じゃなく、ほらこっち」




僕がその先の選択肢を指し示す。「葬儀で泣くのが仕事」の方だ。






──ああ、こっちね、なるほど、なるほど。




まるで解っていたかのような返事をしながら文字を目で追い、妹はまた、すっとんきょうな声を上げる。




「呪術とか 悪魔祓いとかって、書いてあるよ。じゃあ、あの婆さんって魔女の類?」




コイツのものの理解の仕方には、ついて行けないことが多い。




「でも、不思議よね。今日のこととか誰も連絡してないんでしょ?お母さんもあの人のこと知らないって言ってたよ」






そう、僕だってずっと感じていた。




祖母と同じ、遠い田舎の言葉を使うあのお年寄りが、一体どうして今日ここに居たんだろう。祖母に手紙を貰ってたって言ってたけれど、それでも疑問は残る。




妹の言葉に引きずられた訳じゃないけれど、もともとそんな婆さんなんて居なかったんじゃないか、そんな気さえしてくる。だけど、ぽんと叩かれた手の感触はまだ背中に残っている。




──『泣き女』はタマシイを送り、『泣き女』は遺る人を癒す。だけど『泣き女』だけじゃない、島の『おばあ』は皆、不思議な力を持っているのよ






 丈高い木々が静かに歌うような音を立て風に揺れる。見上げていると 遠い日、祖母が僕の手を包み込んでそう言ったこと、その手の温もりが僕の心を安らかにさせたことを思い出す。






「お兄ちゃん 今頃、泣いてるし」




妹がごそごそとバッグの中からハンカチを取り出して差し出した。






ぺんぺん草 花束にして

オリジナル小説、随筆など。fc2「stand by me 」から引っ越しました。

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