温かな向かいの席



先ほど手作りマスクを3つ作りました。ガーゼや柔らかなハンカチを触っていると ふんわりした落ち着いた気持ちになります。朝からドラッグストアに並んだ先週、先々週でしたが こんな時間もまた 良いものだと思いました。 

 2008年、いつもお題を頂いていたモノカキサークルさんが 事情で休止した間 お題と交流を求めて たどり着いたのが「TEXPO」でした。 字数制限のお題や三つのお題、100文字で、とかお絵描きのバトルなんてのもあり、それぞれのホームページもある よくできたサイトでした。

どうしてこんなに伝わらないのか、と辛口感想にへこんだこともありましたが、優しい感想や評価も頂けて、交流もできる楽しい場だったと記憶します。 

 「ゲーセンで」「空腹のとき」「よぼよぼのじいさんが」というのがこの時のお題でした。 字数制限(800字)のため描き切れなかったこともあり、これは参加作そのままではなくロングバージョンです。


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もう死のうかな……なんて思っているのに、お腹が減るのが情けない。

結婚する気満々で仕事も辞めてしまったのに、他の女に相手を取られてしまった。

「このまま結婚しても、君を傷つける、一旦 白紙に戻して考えよう」 
奇麗事並べんじゃないよ。ただの心変わりじゃない。


 寒さに負けて何となく立ち寄ったのはゲームセンターだった。ゲームの音にBGMが被りやたら煩い。ゲームに熱中する子ども達は私のことなんか誰も見てない。新しいゲームは残念ながら付いていけない。せいぜいモグラたたきでばこばこ相手を叩くくらい。それよりどっか隅っこで騒音に紛れておんおん泣くのもいいかもね、なんて思ったけれどお腹がきゅるきゅる鳴った、という次第だ。わぁっ……という歓声が上がる方を振り向くと 人だかり。


「ねぇねぇ、ちょっとぉ、凄くね?あのじいさん」
化粧の濃い女子高校生が仲間を呼んで 人だかりの方へ駆けていく。何だ?近づいて人のすきまから覗く。白髪頭で腰の曲がった老人がドラムのゲームをやっていた。若い子たちが口々に賞賛の言葉を掛け、ドラムを叩く老人を取り囲む人の輪が何重にも増える。ドラムのことも、ゲームのこともよく知らないけれど、相当に上手いらしいということは私にも解った。


曲が終わる。ぴゅうぴゅうと口笛、握手を求める子、盛大な拍手。クレーンで取った大きなぬいぐるみをプレゼントする女の子。何だか老人の上だけ スポットライトでも当たっているように見えた。照れた顔で振り向いたその老人が、どこかで見た顔だ、と思ったとき、
「春ちゃん?」
あちらから声を掛けてきた。ドラムを叩いていた後ろ姿とは打って代わって別人みたいな弱弱しい立ち姿。かすれた声。
ああ……この人は 実家の向かいのアパートの住人、高田のじいさんだ。少し間を置いて気が付いた。


ひがな一日、アパートの前でしゃがんで、登下校の子どもに声を掛ける 有名なじいさんだった。どんな事情か知らないが 田舎から出て来て一人暮らしで寂しかったんだろう、子ども相手に喋るのが好きだった。時たま 私と友達は部屋に上げてもらってお菓子を食べた。中学になると、流石にそんなじいさんと仲良くするのも気恥ずかしくなって、声掛けられても知らん振りした。

小学生も当時と違い、各地で起きる数々の凄惨な事件のせいで、他人を警戒することを教え込まれるらしい。じいさんの傍を避けて通る子も多く、タチ悪い子どもがじいさんをからかって逃げる、なんて姿も時々見かけた。そして私も実家を出てからはたまにしか帰らなくなったし帰った時も高田のじいさんを見かけることもなくなった。その存在も今やっと思い出したところだった。


「お腹すいてないかね、春ちゃん」
─知らない人が何か食べさせてあげるよ、と言ってもほいほい付いていってはいけません。そんなことは解ってます。でも知ってる人だしね。
自分に言い訳した。ぽつんと一人でテーブルに付くのがどうしても嫌だったからかもしれない。向かい合って座る恋人同士を見るのが耐えられなかったからかもしれない。


がつがつとランチセットを食べる私を高田のじいさんは目を細めて見ている。この前まで、私の前に座って目を細めていたのは あの人だったのに。がつがつがつがつ食べながら、涙と鼻水があふれ出す。

─どうしたの?って聞かないんだね、高田のじいさん。

自分の皿にはほとんど手をつけず、水ばっかり飲んで、私の皿が空になったら、
「ほら、こっちも食べな」
自分の分も差し出した。
「遠慮すんなって。先のない年寄りは栄養なんていらねぇんだ。ほら、ほら」
にこにこと笑いながら皿を押し出す高田のじいさん。涙と鼻水でぐじゃぐじゃになりながら、私はひたすら食べ続けた。

「それにしても……高田さんは何でまた あんなとこにいたんですか?ドラムのゲーム上手いなんて吃驚しちゃった」
口の周りをナプキンで拭き拭き、問いかける。お腹がいっぱいになったら、身体の中が温かくなって、自分のことしか考えていなかった事が何だかちょっと恥ずかしくなった。

「あんな風に叶うとは思わなんだなぁ」
高田のじいさんは水を一杯飲み干すと、トンと音を立ててテーブルに置き、ガラス窓の向こうに広がる空をじっと見て言った。
「信じるか信じんかはあんた次第ってやつだが……ワシはもうすぐ死ぬのでな」


「え?」

「『孤独死救済キャンペーン』とかでな、死ぬ直前に願いを二つ、聞いてもらった」
手にした水をこぼしそうになる。じいさん、頭、大丈夫か?
「天使だか 神様だか 死神だか そこんところはよう解らん。いや、これもどうせ一瞬の夢かなんかで、ワシはアパートの部屋の中、もうひとりで死んでるのかも知らん」
「……?」
「ボケてるとか思たじゃろ、今?まあ、それでもええ。こんな風にして願いが叶ったんだしの」
高田のじいさんはそう言ってしわしわの顔をしわしわの両の手でこするとふっふっと声立てて笑った。

「若い頃ドラマーになりたくてな、映画の主人公みたいに女の子にきゃあきゃあ言われて、スタアになって」
オイラはドラマー……じいさんは、指でテーブルをコツコツ叩き聞いたことのあるような昔の歌を口ずさんだ。
「それが 一つ目の願い?」
うむ、と高田のじいさんは深く頷く。
「ちょっと思ってたのとは違ってたがね」
「そして、もうひとつはこれ。誰かと一緒に食事がしたかった、いや好きな誰かが一生懸命食べてるのを、向かいで見たかった、っていうのが正しいかなぁ」

向かいで微笑むその顔を見返すと、ほんのり血色のよくなった顔で高田のじいさんは付け加えた。「いい一生だったと、これで思えた。大満足した。ありがとう春ちゃん」


──じゃあな……ワシはこれで
高田のじいさんは私の手を両手で包み、
「いいか、死のうなんて思うんじゃねぇぞ、春ちゃん」
握られたはずの手に何の感触もなく、不思議に温かい空気だけがまとわりついた。おどろいて、高田のじいさんを見つめると、その細い身体はゆらゆら薄くなってやがて見えなくなった。

急に、風がごうっと音を立てて私の周りを吹き、 くるくると枯葉が舞った。レストランの中にいたはずなのに 気づくと舗道に立っていた。満腹感と身体の温かさを確認する。


まだ、間に合うかもしれない……そう思った。孤独になんか死なせない……そう思った。私は走り出す。高田のじいさんは、もう一つ願いが叶わなくっちゃいけないんだ。「誰かに看取られて逝きたい」っていう願いがね。









ぺんぺん草 花束にして

オリジナル小説、随筆など。fc2「stand by me 」から引っ越しました。

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