金木犀(カヤ&サク2)












窓を開けると花の香りが漂ってきた。あれは「金木犀」。


夜になると余計に匂いがわかるよ、と言ったのは、昨年の朔。


耳を澄ますと隣のテレビの音、向かいの給湯器の音、遠くで走る電車の音。


「こんなに音がするのに 静かだって思うの、不思議だね」


 その時の朔も、妙にしんみりした横顔だった。


いつの間にか 外から帰って来たキジトラの仔猫は 毛布の上で丸くなって寝ていて、ぴくりともしない。安らかな寝顔。昼間は外で鳥を追いかけて あんなに激しく走り回って遊んでいたのに。


「夜の闇と明るい黄色の月を見ているとさ、実家に残して来た年寄りの黒猫のことを思い出すんだ。手を差し出すとすぐに舐めてくれた優しい子だった」


初めて聞く、朔の「思い出話」だった。



 **


最初、「トイレの芳香剤のかおり」だって、言ったのは 私。


「おかしいね。逆だよ、それ。」


朔が笑って言った。──花の香りがあってその後 芳香剤ができるんだもん。


「ふぅん、木の名前なんてよく知ってるよね」


感心して真顔で言ったら 朔は顔をくしゃくしゃにしてもっと笑った。


「そんなの、みんな知ってるもんだと思ってた」




*


 私は木や花の名前なんて知らない。朔のように手料理も上手くない。うんと年下の、過去のこともお互い聞かないで暮らすただの「同居人」。


 次々といい加減な恋愛を繰り返しては破綻し、その都度荒れたり落ち込む私を 温かい「家庭的な味」と小さな心遣いで慰めてくれる朔。


 今さら朔の過去の話も聞き出せない。きっかけも掴めない。でも時折見せる寂しそうな横顔に、朔のために何にもしてあげていない自分を情けなく思う。何か聞いたら朔は居なくなってしまう、そんな気がしていた。私なんかが一緒にいない方がいいのかな、恋愛対象なんてお互いに無理だよね、そう思ってしまっていた。




**


「ああ、夜風にのって いい香りがするね」


石鹸の香がふわっとした。 後ろに風呂上りの朔がいる。


「また、キンモクセイの季節なんだなぁと思ってた」


「最初、トイレの芳香剤って言ったくせに」


「そんなこと言ったっけ」


 缶ビールのプルタブを開ける音。


「すっかり寒くなったね。窓閉めるね、冷えちゃうから」


「いや、夜風が心地いい。ビールも旨い。伽耶さんも飲む?」




昨年からすっかり家に居着いたあの猫が、朔の柔らかい声を聞きつけて うっすら目を開ける。




ぺんぺん草 花束にして

オリジナル小説、随筆など。fc2「stand by me 」から引っ越しました。

0コメント

  • 1000 / 1000